歴史を変えた戦国めし!「本能寺の変」の動機は「鮒ずし」のしくじり事件!? (1/2ページ)
名だたる戦国武将のもとには、美食家のイメージがつきまとう。全国各地から、さぞや豪華な献上品が届けられたことだろう。歴史家の河合敦氏、戦国芸人・桐畑トール氏とともに戦国時代の食にまつわるエピソードを紹介しよう。
石田三成で有名な食のエピソードといえば、三成が関ケ原の戦いに敗れ、京都鴨川の河原の処刑場に運ばれる時のこと。喉が渇いたので白湯を所望するものの、警護の武士に、水はないからこれでガマンせよと干し柿を出されると、死を目前にしているにもかかわらず「柿は痰の毒(喉に悪い)なので食べたくない」と言ったとか。秀吉の晩年に毛利元就から冬の桃が献上された時に、旬のものでない桃を食べて太閤殿下が腹をこわしてはいけないからと、桃を突き返したという「食えない」話も今に残る。
秀吉には、各大名からさまざまな地方の名産品が献上されていた。
「その中でもすごいのが、四国の長宗我部元親が巨大な鯨をまるまる一頭献上した逸話。これは三成も断ってないようですよ」
と同郷の桐畑氏は三成を弁護する。
鮒(ふな)ずしは、中国から伝わった鮨の原型ともいわれる熟なれずしで、鮒を塩漬けにしたのち、樽の中に炊いた米を重ねて漬け、自然発酵させた滋賀・琵琶湖地方に古くから伝わる郷土料理だ。独特の強烈な香りが苦手な人も少なくなく、信長もその1人だったと河合氏は言う。
「明智光秀は、武田氏を滅ぼしたあと、信長に命じられて安土城を訪れた徳川家康の接待のメニューを作りますが、その時信長に『腐った魚を出しやがって』と叱責され、殴打されたというしくじり事件があります。腐った魚というのは鮒ずしだったと思われます。実際に殴打されたかどうかはわかりませんが、このあと光秀は接待係をやめさせられて、中国攻めをやっていた秀吉の応援を命じられ、本能寺の変の謀反の動機となったという説もある事件でした」
桐畑氏が言う。
「光秀は浪人時代に福井とかいろんな地域を回っていて、若狭湾で捕って京都に運んだ塩漬けの魚になじんでいたと思うので、鮒ずしに対する抵抗はなかった。信長は尾張で新鮮な魚を食べていたので、鮒ずしは腐った魚にしか見えなかったんでしょうね(笑)。