藤沢秀行名誉棋聖が絶筆として遺した「強烈な努力」を考えてみる (2/5ページ)

心に残る家族葬

そして勝利を収めるために、常人ではなし得ない「強烈な努力」を終生続けたばかりではなく、藤沢は、本来の語義、「前人未到のことを成し遂げる」ではなく、「豪胆で大胆な様子」の人物やその生き様に対して冠される「破天荒(はてんこう)」という言葉が当てはまる人物でもあったのだ。

■「強烈な努力」からは想像できない程、破天荒な生き方だった藤沢秀行

例えば、死の4年前、3度目のガンを克服した後、当時80歳の藤沢は、自身を「碁界最悪の酔っ払い」で、「競輪・競馬に入れあげて、億単位の穴を開けた借金王」「女性問題続出、わが家に3年間帰らなかったこともある。“火宅の人”としても名をはせた」と振り返り、「こんなに生きるはずではなかった。野垂れ死にするつもりだったのだ。碁を打って打って打ちまくり、好きな酒を気が済むまで飲んで、ふらっと出かけた競輪場あたりである日コトッと死んでいる。そんな最期を、もっと早くに迎えてしかるべきだった」と述べていた。

そのような、殊に今日のように、誰でもが自分の意見を自由に発信できるインターネット社会であり、なおかつ、コロナ禍で精神的・経済的に「余裕がない」人々が多い状況では、いくら碁の名手であっても、社会的に「抹殺」されかねないインモラルな「生き様」とは真逆の「強烈な努力」とは、何を意味しているか。

■全ては碁で勝つためだった。何よりも碁を大切にしていた藤沢秀行

藤沢の場合は、確かに「インモラル」ではあったものの、常人であれば、碁はどこへやら、自滅の道に突き進んでしまうほど、「飲む・打つ・賈う」にのめり込むことがなかったことが大きいだろう。藤沢は自ら、「自分でも息が詰まるくらい、真面目な男」であるとして、「何よりも大切なのは、やはり碁だ。その碁がおろそかになるようなものには手を出してはいけない」「ギャンブルは息抜き」と、「破天荒」とは真逆の、実に堅牢で律儀、碁に全てを捧げた「清浄な心」を持っていた。だからこそ藤沢は、「破天荒」の本来の語義、「前人未到のことを成し遂げ」ることができたのだ。

■藤沢秀行の強烈な努力

30歳を過ぎたぐらいから勝負に強くなり、自分に自信がついてきた頃、藤沢は慢心どころか、碁のことで頭がいっぱいになっていたという。

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