藤沢秀行名誉棋聖が絶筆として遺した「強烈な努力」を考えてみる (4/5ページ)

心に残る家族葬

囲碁のみならず、将棋やチェスなどのゲームであれば、人間社会の「名人」たちよりも、古今東西の勝敗データが大量にインプットされ、しかも相手の手に応じ、即座に的確な判断を下すことが可能なAIの方が有利かもしれない。しかしそうは言っても「AIシステム」そのものは、完璧なものではない。人間が「得意」とする、「経験」による「勘」や「ひらめき」、または「経験」「過去の事例」を超えた「奇跡的」とも言える、ゼロから全く新しいものを生み出す力などは、AIによる「演算」や「判断」などの「処理能力」が太刀打ちできるものではない。

■努力にはそれ自体に価値がある

石器時代の「原人」たちから行われてきた、先人たちの知恵を引き継ぎ、それをもとに自分の頭で考え、藤沢同様の「強烈な努力」の結果、「成し遂げられる」事象までもが消え失せてしまうことはない。古今東西、過去の偉人たちによる「強烈な努力」の数々も同様だ。だからと言って、人間優位を誇るのではなく、我々は常に、藤沢には及ばないにしても、死ぬまで「強烈な努力」を重ねることが肝要ではないだろうか。それを藤沢は今も、石碑を通して我々に教えているのだ。

「藤沢秀行名誉棋聖が絶筆として遺した「強烈な努力」を考えてみる」のページです。デイリーニュースオンラインは、社会などの最新ニュースを毎日配信しています。
ページの先頭へ戻る