ありふれた銅像に意外なドラマが?南房総の観光事業を興した島津良男のエピソード (2/4ページ)
この連絡船事業は明治二十二1889年に「日本実業界の父」として有名な渋沢栄一(しぶさわ えいいち)が興し、発展させたもので、東京や横浜・横須賀と房総半島を網の目のようにつなぐ役割を果たします。
しかし、戦後(昭和二十1945年~)に鉄道網が発達し、房総半島から東京都心へのアクセスがよくなったため、次第に連絡船の需要が低下、その姿を消していきました。
南房総~神奈川方面の移動にはフェリー(海路)が便利。陸路で東京湾を迂回するのはかなり大変。
すると困ったのが房総半島の南部地域。確かに北部は便利になったものの、いくら陸続きとは言っても、南部からではけっこう時間がかかります。
※現代でも、最南端の千倉駅から千葉駅まで行くのは2時間以上かかるようです(ジョルダン調べ)。
このままでは、南部が寂れてしまう……そこで金谷に港を開き、三浦半島との航路継続に乗り出した良男たちでしたが、それには利用者の確保が大きな課題となりました。