ありふれた銅像に意外なドラマが?南房総の観光事業を興した島津良男のエピソード (1/4ページ)
フェリーに乗って、久里浜(神奈川県三浦市)から東京湾を渡って金谷(千葉県富津市)へ行って来ました。
鋸山のふもとに広がる金谷の街はのんびりとしていて、開放的な南国気分が楽しめます。
さて、そんな浜金谷(はまかなや。JR内房線)駅前のコミュニティセンターに銅像が一つ建っていました。
どこにでもありそうな胸像の主は島津良男(しまづ よしお)。いわゆる地元の名士というヤツなのでしょうが、ふと興味が湧いて調べたところ、意外な人々とのかかわりがあったようです。
東京湾の航路を守るため、金谷に港を開く島津良男は明治三十九1906年、房総半島の南西部に位置する金谷村(現:千葉県富津市)に生まれます。
当時の金谷は江戸時代後期から鋸山で採掘される房州石(ぼうしゅういし)の産地として知られていましたが、それ以外にはこれといった特徴に乏しい、よくある田舎の漁師町。
地元産業も盛んではないため、多くの若者は連絡船に乗って東京湾を渡り、出稼ぎに行きました。