大河ドラマ「平清盛」で物議をかもした、朝廷を「王家」と呼ぶ表現は正しいの? (2/4ページ)
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絶妙のタイミングで、冊封体制からの脱却=日本の独立を実現した推古天皇(左)と聖徳太子(右)。
それまで「世界の中心」である中国大陸の「皇帝」と、その周辺を治める「王」という国家同士の主従関係(これを冊封体制-さくほうたいせい、と言います)から脱却し、日本の「天皇」はあくまでも「皇帝」と対等であることを宣言しました。
つまり「皇>王」という歴史的な前提があり、皇室をあえて「王」家と呼ぶのは、皇室に対する不敬(例えば、部長に対して、わざと課長と呼んで見下すような態度)に当たるから、多くの日本人が違和感を覚えたのです。
しかし、平安時代は現代と異なり、天皇陛下をはじめとする皇族をファミリー(家庭)とする概念は存在していないことから、「王家」は言うまでもなく「天皇家」も一般的ではなく、従来どおり「朝廷」で事足ります。
※ただし、王家という言葉がまるでなかった訳ではなく、鎌倉時代末期ごろから貴族の日記などにしばしば書かれていますが、それでも一般的とは言い難いものです。
事実、時代考証の本郷和人氏もそれは承知でいながら、真っ向から番組づくりを批判できなかったためか「天皇家と呼んでも王家と呼んでも、間違いではない」と擁護していますが、どちらも当時一般的でない以上、ちょっと苦しいところです。