日本人と唯一神教との相性は?日本人と唯一神教との微妙な関係 (2/3ページ)

心に残る家族葬

当たり前のようだが、仏教と習合、融和してきた日本人はこのような厳格な価値観は持っていない。

キリスト教の宣教師はこの絶対的価値観を持って来日した。そしてその地にはキリスト教以外の宗教、習俗が存在していた。キリスト教という絶対的価値と異なる教えにとっては、それらは邪教であり排すべき存在である。彼らに扇動されたキリシタンは寺社を焼き、仏像や墓石を破壊し、僧侶を殺害するなどした。キリスト教の宣教師には苛烈な拷問、処刑に屈しない殉教のイメージがあるが、布教が禁止された背景にはこうした排他的な姿勢にも一因はある。

長崎県の住職・会川天心氏は、こうした歴史の事実に触れず、キリシタン迫害史だけを強調することは、歴史の隠蔽改竄に加担することになると指摘している(長崎新聞 平成26年12月5日)。

■日本で最大信徒数を誇る浄土真宗は日本的唯一神教

このような排他的・独善的な唯一神教は、融和的な日本人に合わないのではないかと思われる。しかし、現代に至るまで日本最大の信徒数を擁する宗教(派)は、親鸞(1173〜1263)が開いた浄土真宗である。そして浄土真宗は唯一神教といってもよい構造である。
元々浄土系仏教は極楽浄土というキリスト教の天国に近い他世界を宗派名に冠する。そして「弥陀一仏」と言い、阿弥陀仏のみを崇拝する。阿弥陀仏は絶対的存在なのである。真宗は他の浄土系仏教からさらに徹底していく。偶像崇拝、呪い、占いなどは一切認めず、真宗寺院には御朱印やお守りすら置いてない、まさに阿弥陀仏のみの唯一神教である(偶像崇拝と阿弥陀仏の本尊について後述)。

■浄土真宗とキリスト教(プロテスタント)との類似性

この徹底さはプロテスタントとの類似が指摘される。カトリックではマリア信仰、聖人崇拝、天使の存在が説かれているが、マルティン・ルター(1483〜1546)は弥陀一仏のように、聖書のみを信じよと説いた。またカトリックでは教皇や神父の権威は平信徒より上である。信徒は神に対して、神父や教会にとりなしてもらうのである。ルターはこうしたカトリックの形式を否定した。信徒はそれぞれが直接唯一神と向き合え、牧師と信徒の間に上下関係は無い(万人祭司)。

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