百姓から一国の大名に!民衆や神様に愛された戦国武将・田中吉政の立身出世を追う【中】 (2/5ページ)
浅井攻略のため、調略に奔走した木下藤吉郎秀吉。Wikipediaより。
久兵衛は主君に従って長政に味方し、信長の部将・木下藤吉郎秀吉(きのした とうきちろうひでよし。後の羽柴秀吉)と対峙することになりました。
しかし金ヶ崎での敗戦(同年4月25日)以来、織田方は慎重になっていて力押しはせず、また久兵衛らも浅井家の重要拠点である宮部城を堅く守り続けたため、睨み合ったままで約2年半の歳月を費やします。
「久兵衛よ……わしは木下殿にお味方する!」
元亀三1572年10月、秀吉の調略により宮部継潤が織田家へ寝返った理由はハッキリしませんが、主君である浅井長政を見限るキッカケでもあったのか、あるいは持ちかけられた報酬がよほど魅力的だったのかも知れません。
いずれにしても重要な防衛拠点を失った浅井長政は劣勢に転じることとなり、久兵衛は宮部継潤と共に、織田家への忠誠を示すため、国友城(現:滋賀県長浜市)へと進攻します。
「おのれ宮部……浅井家を裏切った上は、最早うぬなぞ主に非ず!」
国友城を守るのは国友与左衛門(くにとも よざゑもん)、久兵衛にとっては叔父(母・竹の弟)であり、また義理の舅(※)にも当たります。
(※)久兵衛は宮部継潤の娘婿ですが、彼女は与左衛門の娘で、宮部の養女になっていました。