百姓から一国の大名に!民衆や神様に愛された戦国武将・田中吉政の立身出世を追う【中】 (5/5ページ)

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久兵衛とはかつて義兄弟(宮部継潤の養子)であった秀次。Wikipediaより。

秀次は以前、秀吉が浅井家を攻略する際に宮部継潤の養子(実質的な人質)に出されていたことがあり、久兵衛とも親しく交わっていたことがあったのです。

「有難き仕合せにございまする!」

しかし、これによって久兵衛はおよそ二十年の永きにわたり奉公してきた主君であり、義父でもある宮部継潤との別れを余儀なくされました。

「……義父上」

「構わぬ。わしには嫡男の兵部(宮部長房)もおるし、治兵衛(じへゑ。秀次)様の下でなら、そなたもより大きな働きが出来よう……たまには便りなどするように」

「ははぁ……」

かくして久兵衛は秀次の家老として、その政治的手腕をいかんなく発揮することになります。

【続く】

※参考文献:
市立長浜城歴史博物館ら『秀吉を支えた武将 田中吉政―近畿・東海と九州をつなぐ戦国史』市立長浜城歴史博物館、2005年10月
宇野秀史ら『田中吉政 天下人を支えた田中一族』梓書院、2018年1月

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