「我が巨人軍は永久に不滅です」ほか、プロ野球「伝説の名言&名言」プレイバック (2/2ページ)

日刊大衆

「余談ですが、引退試合の日、後楽園球場を埋めた大観衆の中には、東芝府中の選手だった落合博満さんもいました。会社を休んで球場に駆けつけ、外野スタンドから“やめないでくれ!”と絶叫したといいます。ミスターは引退後、すぐに監督に就任し、V9後の巨人の指揮を執りましたが、成績は低迷。1年目は球団初の最下位も経験します」(ベテラン記者)

■ミスターだけじゃない、名言の数々

 結局、長嶋氏は6年間指揮を執るも、1980年のシーズンオフに突如、監督を解任されてしまう。

「解任はミスターには寝耳に水だったはずです。記者会見で絞り出すように〈男としてケジメをつけようと思いました〉と言ったのが、印象的です。“悔しくて、その日は眠れなかった”と聞きました」(前同)

 無念の解任劇で巨人と決別したかにも見えたため、長嶋氏のもとには、大洋(現DeNA)や西武から監督のオファーが来たという。

「ただ、ミスターは絶対に引き受けなかった。それはいつか監督に返り咲いて、日本一になってやるというリベンジの気持ちがあったからです」(同)

 “ミスタープロ野球”こと長嶋氏の球界人生は、栄光だけではないのだ。

 今年2月に急逝した野村克也氏も、名言は数多い。中でも氏の野球哲学が詰め込まれているのが、

〈勝ちに不思議の勝ちあり。負けに不思議の負けなし〉だろう。

「ノムさんが監督としてもっとも充実していたのが、ヤクルト時代(90〜98年)でしょう。各種データを駆使して戦う“ID野球”をチームに叩き込んだ結果、9年でペナント優勝4回、日本一3回に輝きました。ヤクルトの監督時代、ノムさんが折に触れて口にしていたのが、この言葉なんです」(球界関係者)

 10月5日発売の『週刊大衆』10月19日号では、懐かしの「プロ野球名言」を一挙公開している。

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