精神保健福祉士が考えるキューブラー・ロスの死への第2段階「怒り」 (1/2ページ)

心に残る家族葬

精神保健福祉士が考えるキューブラー・ロスの死への第2段階「怒り」

もしも自分に残された時間が少ないと分かったら、人はどのようにその瞬間へ向かうのだろう。そこには、どのような心の変化が生まれるのだろう。前回同様、アメリカの精神科医であったキューブラー・ロス(1926-2004)の著書「死ぬ瞬間」を参考として死への過程の第1段階「否認」について考察しようと思う。

■「怒り」とは「なんで私なんだ?」という感情

「そうだ。間違いなんかじゃない。死ぬのは私だ。何で私なんだ」

人は自らに死が迫っていると知ると、まず否認をするというが、その第1段階を経ると死を受け入れていく過程へと移行する。キューブラー・ロスによると、死を受け入れたと同時に持つ感情は、怒りだという。

偽りの世界、即ち否認しながら生きる世界には、そう長く居続けられるものではない。現実に直面しなければならない時がやってくる。すると、否認は激情として、妬みとして、憤慨として、様々な怒りへと姿を変える。そして、自分を嫌うようになる。

■怒りはなにに対してどんな感情をもつのか

様々な怒りは、様々な方向へ辺り構わず向けられる。

例えば医師に「ちゃんと検査したのか。治すのが仕事だろう」
看護師へは、ナースコールをひっきりなしに鳴らしておきながら「そっとしておいてくれない」
家族には、「お前らには分からない。そっとしておいてくれ。」と言いながら面会が少しでも途絶えると「何で来てくれないんだ」などである。

更には、同じ病室の患者がご飯を食べているだけで嫉妬し、テレビから流れてくる音楽にはきれいごとだと非難する。悲しいニュースにすら嫌悪感を表すことがあるという。周囲の人への愛想の悪さが目立ってしまい、本人も家族も不快感は増すばかりだ。この段階では、病院スタッフも対応の難しさを感じるという。

■「怒り」の段階で回避すべき悲劇

これらの怒りはすべて、「自分が生きていることを知ってほしい」このような思い若しくはこれに似た思いから来る心の叫びである。誰もが持っている承認欲求が強く表現されていると解釈ができそうだ。そういった状態であるということを踏まえた上で、この段階で起こる悲劇を回避したい。

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