印象派の巨匠クロード・モネが描き続けた最初の妻カミーユの実像とは? (2/4ページ)

新刊JP

「この絵を、子どものいるリビングに飾りたい」と思って、すぐにキャンバスを買ったんです。

――模写をしたのですか。

松井:はい。もちろん本物はとても購入できませんから、趣味も兼ねて描きました。それ以来、ずっとリビングに飾っています。今ではあまりに見慣れた風景になってしまって、家族の誰も目に留めなくなりましたが…(笑)。

それが7、8年ほど前、子どもたちに手が掛からなくなった頃に、ふとこの絵が目にとまったんです。そういえば、このモネ夫人は早くに亡くなったとカタログに書かれていたけれど、一体どんな人生だったのだろうと。すぐにカタログや画集を広げてみたのですが、「早世の」とか「薄幸の」という以外には何も書かれていない。学術書を調べると、「旧姓と没年月日以外、正確なことはわからない」とありました。

「そんな馬鹿な」と思ってしまったんですよ。彼女は確かに生きて、多くの作品にその姿を残しています。『庭のカミーユ・モネと子ども』に描かれた彼女は幸せそのものじゃありませんか。早世というだけじゃない、薄幸というだけじゃない、彼女の人生を形に残したいと思ったんです。それが三つ目の、そして直接のきっかけです。

――モネの初期の作品は、カミーユをモデルしているものが多いですよね。

松井:そうですね。当時、絵画は題材によって格付けされていました。歴史や神話・聖書の一場面を描いたものが最も格が高く、その次が肖像画や風俗を描いた人物画。静物画や彼の得意な風景画は軽く扱われていました。だから、かの風景画の巨匠クロード・モネであっても、サロンに認められようと努力していた初期は人物画を多く描いたのです。そして、そのモデルはほぼカミーユでした。

彼女の死後、顔まで描き込んだ人物画はほとんど残していません。晩年、娘たちを描いた作品もあるんですがやはり顔は描かれず、まるで風景の一部のようです。モネはやはり風景画家だったと思いますが、だからなおさら、モネの人物画のほぼ唯一のモデルであったということは、それだけで特別な存在だと感じます。

――調査はどのように進めていったのでしょうか。

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