戦国時代、北の海で暴れ回ったアイヌ海賊と、悩まされる戦国大名たち (2/4ページ)
アイヌにも海賊がいた!?意外と、そしてかなり不利だった和人の立場
夷狄商舶往来法度とは、それまで激しい抗争を繰り広げて来たアイヌと和人の間に締結された一種の講和条約で、史料によって諸説あるものの、おおむね天文二十1551年ごろに締結されたそうです。
締結に立ち会ったアイヌの代表者はシリウチ(現:知内町)の首長チコモタインとセタナイ(現:せたな町)の首長ハシタイン。対する和人の代表は、松前大館(現:松前町)の領主・蠣崎季広(かきざき すえひろ)。
立会人として蠣崎家の主君である安東舜季(あんどう きよすえ)に出羽国(現:秋田県)から出張してもらい、以下のような条約を締結しました。
一、蠣崎家はチコモタインを「東夷尹(ひがしえぞのかみ)」、ハシタインを「西夷尹(にしえぞのかみ)」と呼んで敬意を払うこと。
一、蠣崎家は他国との交易によって得た関銭(通行税)の一部を、両首長に上納すること。