戦国時代の武芸を祖先に持つ世界が認めたエロティック・アート「緊縛」【前編】 (5/7ページ)

Japaaan

まさに和歌や和装といった代表的な日本文化と同じように、当時は縛りにおいても季節が重視されていたのです

5色の索縄。右上から時計回りに、春の青龍縄、夏の朱雀縄、冬の玄武縄、土用の黄色縄、秋の白虎縄、夏の朱雀縄。

五色の縄。右上から時計回りに、春の青龍縄、冬の玄武縄、土用の黄色縄、秋の白虎縄、夏の朱雀縄(画像『十手 破邪顕正の捕物道具』より)

春は青龍を司る青色の縄を東に向けて打つ。夏は朱雀を司る赤色の縄を南に向けて打つ…等の決まりは『捕縛四季弁色の制』として制度化されました。この制度は室町後期に一旦廃れますが、一部の大名領で継承され、江戸時代にも簡略化された形で残っていたと『十手 破邪顕正の捕物』に書かれています。

室町時代には、相手の身分や性別、罪の重さによって縛り方を変えることも行われていました。応仁の乱を経て戦国時代に流れ込んでいくこの時代。戦場で敵方の武将を拘束する技術は巧妙を立てるうえで欠かせないものとなり、捕縛は罪人を拘束する術という枠を越え、戦国武将に必須の武芸として発展してゆきます。

逮捕術としての本縄から緊縛へ

武士の必修科目だった捕縛は、江戸時代に入ると奉行所の役人が用いる逮捕術として体系化されました。

縄を使った逮捕術は捕縄術(ほじょうじゅつ)と呼ばれ、武術の一つとして多くの流派も生まれます。捕縄術は、容疑者を素早く捕えるための「早縄」と、捕えた罪人を長期間拘束するための「本縄」に大別されていました。

時代劇で、同心が十手と縄を手に「御用だ!御用だ!」と言いながら下手人を捕えるシーンを見たことがありませんか?あれが「早縄」です。

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