人質約700名の命と引き換えに逃亡。信長を裏切った戦国大名「荒木村重」【中編】 (2/2ページ)

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信長との交渉の末に逃亡した荒木村重の家臣「池田知正」Wikipediaより

村重と知正の逃亡

尼崎城に籠る村重は信長の提案を拒否。尼崎城から脱出し花隈城へ籠城する。さらに、家臣代表として信長の講和条件を伝えた知正は、交渉が決裂したことによる保身のためから逃走してしまう。

講和交渉が決裂したことを受け、信長は村重や知正への見せしめのために人質の処刑を決定した。

700名近くを処刑

村重の行為に対し、「武道人にあらず」と非難した信長の怒りは凄まじく、荒木一族や関係者はほぼ全員が処刑されている。

12月には尼崎近くで122人の女房衆(家臣の妻子など)を磔にして処刑。また京都に護送された村重の一族と、重臣の家族36人が六条河原で斬首された。身分の低い人質は農家に押し込められ火をつけられたという。

結果的に700名近い関係者が村重の講和拒否によって殺されている。処刑された人物の中には、村重の妻や知正の息子も含まれていた。

信長の生涯を綴った「信長公記」には、この時の状況が以下のように記載されている。

“風のまはるに随って、魚のこぞる様に上を下へとなみより、焦熱、大焦熱のほのほにむせび、おどり上り飛び上り、悲しみの声煙につれて空に響き、獄卒の呵責の攻めも是なるべし。肝魂を失ひ、二日共更に見る人なし。哀れなる次第中々申し足らず”(Wikipediaより)

【後編】へ続く

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