人質約700名の命と引き換えに逃亡。信長を裏切った戦国大名「荒木村重」【中編】 (1/2ページ)

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人質約700名の命と引き換えに逃亡。信長を裏切った戦国大名「荒木村重」【中編】

戦国時代。織田信長の家臣であった摂津国の「荒木村重(あらきむらしげ)」は、突如として信長に反旗を翻し居城である有岡城に籠城する。信長によって兵糧攻めを受けた有岡城は長い籠城生活を強いられる事となった。

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人質約700名の命と引き換えに逃亡。信長を裏切った戦国大名「荒木村重」【前編】

開城

1579年9月。有岡城で籠城中の村重は、わずかな側近と共に城を脱出。長男の村次が守る尼崎城へ移ってしまう。村重の逃亡は数日のうちに間者(スパイ)によって織田方に知れ渡り、織田軍は本格的な調略作戦を開始した。

10月。織田軍は有岡城を総攻撃。残された家臣たちは村重に変わって城守をしていた「池田知正」を中心に奮戦するも、織田方に寝返った兵の影響もあり11月に開城となった。

信長は講和を持ちかけ「居城する尼崎城と西方の花隈城の明け渡すならば、家族や家臣の命は助ける」という条件を村重に提示し、返答を待った。

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