身内殺しの策略家。戦国三大悪人の一人「宇喜多直家」の悪しき所業【前編】 (1/2ページ)

Japaaan

身内殺しの策略家。戦国三大悪人の一人「宇喜多直家」の悪しき所業【前編】

松永久秀・斎藤道三と並び、戦国の三大悪人と呼ばれる「宇喜多直家(うきたなおいえ)」。直家を悪人たらしめる由縁は、度重なる謀殺や暗殺を繰り返した事実だろう。

今回は、戦国切っての策謀家・宇喜多直家の所業をご紹介する。

宇喜多直家 Wikipediaより

苦しい子供時代

1529年。備前国(現在の岡山県)の国人であった父「宇喜多興家(うきたおきいえ)」の子供として生まれる。祖父「能家(よしいえ)」は、備前国で守護代を努めていた浦上氏に仕えた有能な武将だったが、同じく浦上氏の家臣であった島村盛実によって暗殺されてしまう。

直家は幼くして(5歳前後といわれている)祖父を失った事を契機に、父親と共に放浪生活を余儀なくされたという。父親である興家も1530年代後半には死亡しているようで、死因ははっきりしないが、暗殺とも病死ともいわれている。

一説には、親子で備後国(現在の広島県)の鞆に落ち延び暮らしたとされる。

直家の祖父「宇喜多能家(うきたよしいえ)Wikipediaより

浦上氏家臣へ

成人した直家は備前国の浦上宗景に仕える。

「身内殺しの策略家。戦国三大悪人の一人「宇喜多直家」の悪しき所業【前編】」のページです。デイリーニュースオンラインは、宇喜多能家備前国宇喜多直家戦国時代カルチャーなどの最新ニュースを毎日配信しています。
ページの先頭へ戻る

人気キーワード一覧