源平合戦「水島の戦い」最大の謎!平氏圧勝の要因は「日蝕説」の真実 (2/3ページ)
義仲はまず、彼を血祭りに上げ、平氏の拠点となった屋島を次の攻撃目標に設定。屋島と瀬戸内海を挟んだ山陽道側の水島に進軍し、平氏方も源氏勢を迎え討とうと軍勢を派遣し、両軍は閏一〇月一日に激突した。
そして、この日に金環日蝕が起きたことは事実だから、問題は巷間伝わるように、これが源平両軍の勝敗『源平盛衰記』は合戦の状況をこう伝えている。
夜明けとともに源氏の兵が軍船に乗り込み、とも綱を解いて海へ乗り出すと、平氏軍も待ってましたとばかり、軍船に乗り、大声を上げて戦った。
兵と軍船の数は史料によって若干は異なるものの、源氏方が矢田判官代義清を大将に、およそ一〇〇余艘に五〇〇〇余の兵。
かたや平氏方は平知盛(清盛の四男)と教盛(清盛の異母弟)率いる二〇〇艙の船に七〇〇〇余の兵で、源氏方のほぼ二倍の兵力を要していた。
水島も今では陸地化し、当時の面影は残っていないが、源氏方は乙島に、平氏方は柏島に陣取り、両島の間の狭い海峡で海戦が行われたとみられる。
では、『源平盛衰記』が記す日蝕の状況を見てみよう。
「かかるほどに、天にわかに曇りて、日の光も見えず、闇の夜の如くになりたれば、源氏の軍兵ども日蝕とは知らず、いとど東西を失って船を退きていづちともなく、風に随したがって遁れ行く。平氏の兵者共はかねて知りければ、いよいよ鬨をつくり、重ねて攻め戦ふ」
つまり、戦いが佳境に入った頃、空が急に暗くなり、金環日蝕が両軍を襲い、源氏方はそれと分からずに大混乱をきたし、風に随って逃走。
■義仲軍の敗戦の理由は島を正面から攻めた点
一方、平氏方は日蝕と分かり、混乱する源氏の軍船を尻目に鬨の声を上げて攻め立てたというのだ。
だとすると、やはり日蝕が勝敗の明暗を分けたようにも映る。
実際、平氏が当時、日宋貿易を独占し、中国から先進的な天文の知識を得ていた一方、源氏方は山国信州の武士が多かったため、日蝕を知らなかったともいわれる(片山亨「源平水島合戦と日蝕」『岡山経済』176号)。