豊臣秀吉の痕跡をあとかたもなく消し去れ!墓も神社も破壊した徳川家康の執念 【後編】 (1/6ページ)

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豊臣秀吉の痕跡をあとかたもなく消し去れ!墓も神社も破壊した徳川家康の執念 【後編】

徳川幕府安泰のため、大阪の陣で豊臣秀頼を滅ぼした徳川家康

次に狙いを定めたのが、京都にある秀吉の墓と秀吉を祀る豊国神社を破壊し、人々の記憶から秀吉を消し去ることでした。

ここまでのいきさつは、【前篇】もぜひご覧ください。

豊臣秀吉の痕跡をあとかたもなく消し去れ!墓も神社も破壊した徳川家康の執念 【前篇】

秀吉から「豊臣乃大明神」の神号が剥奪される

 神として祀られた秀吉だが、豊臣家の滅亡とともに家康により神号が剥奪された。(写真:塩川文麟画/長浜市立長浜城歴史博物館蔵)

徳川家康は、1614(慶長19)年の大阪の陣で豊臣秀頼を滅ぼしました。

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