高倉健の40年来の付き人が明かす!人情にあふれた知られざる素顔 (2/3ページ)
旦那はそのまま、そこに1時間近くいたかな。“こうしていれば、オレの心はチエミとつながるんだ”と、ずっと祈っとったわ。
■高倉健と母の家族愛裏話
ーー健さんと一緒に比叡山のお寺に行って、滝行(滝に打たれる修行)までなさって、チエミさんを供養されたとか。
西 真冬の真夜中、旦那と2人で裸になって、ツララの下がっとる滝に打たれるんです。滝に打たれながら、「ナウ マク サン マンダー」とお経を唱え、一心不乱に祈り続けましたわ。
ーー健さんは江利チエミさんのことを、いつまでも心から愛していたんですね。
西 そうやねん。彼女の『テネシー・ワルツ』も、撮影所やワシの家の健さん部屋で、よう一人で聴いてましたわ。『南極物語』(昭和58年、日本ヘラルド映画/東宝)かて、そうや。最初、旦那はかたくなにオファーを断ってたんやけど、チエミちゃんが亡くなりはって、気持ちが変わったんやな。ワシ、吉永小百合さんから説得するように頼まれて、「旦那、チエミさん、今、寒いところに眠ってはるんやろな。ワシ、供養に行きたい思てますねん」て、搦手から攻めて、旦那をその気にさせたんですわ。
ーー健さんは寡黙な印象ですが、義理人情に厚い、優しい方なんですね。お母様のことも本当に大切にされていたそうですが、人気俳優ゆえの葛藤もあったと。
西 お母さんが亡くならはったとき、ちょうど『あ・うん』(平成元年、東宝)を撮影中で、旦那は葬儀にも行かれへんかった。そんとき、「悔しいなあ。役者って因果な稼業だなあ」と、しみじみ漏らして。あんなん、初めてですわ。で、僕は、よし、ほんならワシが旦那に代わって、毎年、お母さんのお墓参りに行こうて決めたんですわ。お母さんの命日に、旦那のお身内とも顔合わさんようにして、京都から朝早うに北九州のお寺に入り、墓参を続けたんです。何年かして、旦那から、「毎年、お袋の命日に墓参りに来てくれる人がいるんだが、どなたか分からないんだ。