日本最初の戦国大名。戦乱の世に生きた「北条早雲」の生涯【後編】 (1/2ページ)

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日本最初の戦国大名。戦乱の世に生きた「北条早雲」の生涯【後編】

15世紀末から始まったとされる戦国の世。戦国大名の先駆けとされる「北条早雲(ほうじょうそううん)」は、伊豆を平定すると関東へ進出した。

【後編】では、早雲の晩年の活動をご紹介する。

これまでの記事

日本最初の戦国大名。戦乱の世に生きた「北条早雲」の生涯【前編】

日本最初の戦国大名。戦乱の世に生きた「北条早雲」の生涯【中編】

相模国平定

小田原城を落とした早雲は、扇谷上杉家の当主「上杉朝良(うえすぎともよし)」から小田原城を譲り受け、代わりに軍事支援を約束する。

立川原の戦い

扇谷上杉家と対立していた山内上杉家は、当主「上杉顕定(うえすぎ あきさだ)」を中心に朝良・早雲方を牽制。1504年。両軍は武蔵国立川原で合戦となった。戦は扇谷上杉家方の勝利に終わるも、敗戦後に勢いを盛り返した山内上杉家によって朝良は事実上の隠居に追い込まれる。

上杉家との敵対

早雲は上杉家の同族争いの最中にも、扇谷上杉家の軍事支援を名目に相模国の侵攻を進めていた。1510年頃になると扇谷上杉家から離反する動きを見せ始める。

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