何を言っても通じない。陰謀論を信じる人の論法とそれに対処する方法 (2/6ページ)
「どこに竜が?」と友人。「じつは透明でね」とセーガン。ならばと友人は、床に小麦粉をまいて足跡をつけてみようと提案。「でも竜は浮いているからね」とセーガン。友人は負けじと赤外線カメラで映せばいいと主張するが、セーガンは「透明な炎は熱がないからね」とかわす
竜の存在は証明することも、否定することもできない。このような議論を「二重基準の論証(special pleading)」という。証拠を見せろという相手に対して、自分勝手に基準を操作して煙に巻いてしまうことだ。そして、これは陰謀論では一般的に行われている。
科学の世界では、得られた結果をまず第三者に公開し、実験方法や結果が妥当なものかきちんと検査してもらうのが普通だ。これを査読と言い、学術誌に掲載されるのはこれをパスしたものだけだ。
だが陰謀論の世界では、たとえば5Gとコロナの関係についてのまともな研究がないのは、それが公表されることを何者かが妨害しているからだと説明される。
証拠がないことが陰謀論の正しさの証明であると主張されるのだ。主要な科学機関がメインストリームの見解しか示さないのは、それだけ隠蔽工作が上手くいっているからだ、と。
カール・セーガンの議論は、陰謀論を信じる人たちにその誤りを立証して納得させるなどできないということを示唆している。
だが、こう考えてみよう。もし世界各国で陰謀を企てる組織が暗躍していたのだとして、彼らが何の痕跡も残さずにことを成し遂げられる確率はどれほどだろうか、と。
ジャーナリストなど、それを世に公表して利益を得られる人間はたくさんいるだろう。あるいは、どんな証拠があれば陰謀論を信じてしまった人の意見を変えられるだろうかと考えてみるのもいい。それが結局は反証可能性のない命題であることに気づくだろう。