ひどすぎる!戦国時代の名軍師・山本勘助が養父に勘当されてしまった理由とは? (2/4ページ)
※他に、三河国宝飯郡牛窪(現:愛知県豊川市牛久保)などの生まれとする説もあります。
家督の継承順位が低い次男坊以下は、どこか男子のない家へ養子に出されるのが通例でしたが、勘助は片目が見えず、また片脚が不自由で手の指も揃っていないというハンディキャップを背負っており、なかなか受け入れ先が見つかりません。
山本勘助の肖像。隻眼に加え、片脚が不自由で、手の指も揃っていなかったという。Wikipediaより。
※勘助の身体障害については、生まれつきとする説や、あるいは激しい武者修行の結果とする説などがあり、ここでは生まれつき説を採用しています。
「そう言えば、勘左衛門(かんざゑもん)殿には男子がいなかったはず……」
勘左衛門とは三河国牛窪城で家老を務めていた大林貞次(おおばやし さだつぐ)。名前の「貞」から察せられる通り、遠縁の親戚に当たるようです(※こういう「一族の証」的な文字を、通字と言います)。
「う~ん……(こんな障害者に家督を継がせたくはないが、さりとてこのままでは家が絶えてしまう。背に腹は代えられないか)……」
かくして貞次は渋々源助を養子に迎え、勘左衛門から一文字をとって勘助と改名しました。
「ありがたき仕合せにございまする!」
「よいかげ源s……もとい勘助よ。