ひどすぎる!戦国時代の名軍師・山本勘助が養父に勘当されてしまった理由とは? (3/4ページ)
これからは勘左衛門殿の名に恥じぬよう、よりいっそう精進するのじゃぞ」
「ははあ。この勘助、粉骨砕身いたしまする……っ!」
(……ふん。元から砕け散ったような身体をしおってからに……)
貞次の内心はともかく、このまま上手く行けば牛窪城の家老職を受け継ぐことも夢ではありません。いよいよ勘助の前途が開けようとしていました。
勘助の旅はまだまだ続く……。「え、武者修行……にございますか?」
「うむ。諸国を巡って家老職に相応しい見識を養うのじゃ」
元服した勘助は、貞次の勧めによって旅に出されることとなりました。しかし現代とは違い、身体壮健な者であっても旅には多くの困難が伴う時代です。
「古来『可愛い子には旅をさせよ』と申すではないか。一回り大きな男になって戻るのを、楽しみにしておるぞ!」
身体の不自由な勘助が無事に帰れる見込みは薄い……どう見ても体のよい厄介払いでしかありませんが、無理に断れば後継者としての資質を疑われかねません。
「……ははぁ」
かくして武者修行の旅に出た勘助は、諸国を見聞しながら大猪を退治したり武芸者と勝負したり、各地の人材と交流したりなど様々なことを学び、大きく成長したそうです。