何が正しい? 「結婚しない人生」は間違っているのか (2/5ページ)

マイナビウーマン

芸能人の不倫報道などでも顕著ですが、そうした問題を起こした人がいれば、その問題とは無関係で、当事者でもなく、何ら迷惑も被害を受けていない人間が「正義の名の下に」、一斉に「謝れ!」と大合唱する始末。

さらに、ご希望通り、相手が謝罪したとしても、謝り方が気に食わないと「その謝り方は正しくない」といつまでも終わりません。

個人の指標として、「これは正しい」とか「これは正しくない」という基準を持つのは構いません。

ですが、その個人の「正しい」を他人に押し付け合うようになると、それはもう暴力に等しくなります。

歴史を見ても明らかなように、「正しさ」とは、きわめて脆弱で主観的で、決して普遍的なものでも万能でもありません。環境や事情が変われば、昨日の「正しさ」が今日は「正しくない」ものに変わった事例はたくさんあります。

◇「正しくない」という概念自体が存在しない

そもそも、「正しいか、正しくないか」という二項対立そのものが、社会においては実は正しいのか? という問題があります。

あなたの「正しい」と対立するのは、別の誰かの「正しい」かもしれません。だとすれば、「正しくない」という概念は実は存在しないといえるのです。

正義の争いには、立場の違いしかなくて、そこに絶対的・普遍的な正義なんて存在しません。

たとえば、「学校のいじめをなくすために道徳教育を強化すべきだ」と主張する識者がいます。

一見、「正しい」ように思えますが、そんなことでいじめがなくなるはずがないのです。社会心理学者山岸俊男さんの著書『社会的ジレンマ』の中にあるように、こうした「道徳教育」はことごとく失敗します。

もちろん、「他人を思いやりなさい」「他人のために尽くしなさい」という利他精神は、それ自体を否定するものではありませんが、そうした教育を真面目に聞き入れて、利他的に行動してしまう人は、現実の社会において、利他的ではない人たちに良いように利用され、搾取されるだけの人間になってしまうからです。

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