何が正しい? 「結婚しない人生」は間違っているのか (3/5ページ)
「あなたのしていることは、社会のためになるとても尊いことだから、給料安くても頑張れるわよね」という「やりがい搾取」などまさにこの典型です。
◇「規範」の基準は一人一人異なる
自己犠牲にしてもそうです。自己犠牲の精神を素晴らしいものとして崇めることで、我慢することは美徳とされます。百歩譲ってそこまでは良いとしたとしても、人間はそれでは済みません。
周りに我慢しない人が表れると「私たちが我慢しているのに、我慢しないあなたは間違っている。許さない。排除だ」という行動につながります。
利他にしろ、自己犠牲にしろ、こうした道徳的精神は、結局「みんなが我慢しているんだからあなたも我慢しろ」という謎の規範の強要に過ぎず、さらに、その規範は一人一人に我慢というストレスを植え付けます。
そのストレス発散の糸口こそが「我慢している自分は正しいのだから何をやっても許される」という身勝手な解釈となり、いつしか「正義の名の下の暴力」を許す錦の御旗になってしまうわけです。
◇「正しいか正しくないか」の問いに答えはない
自分の行動の基準を「正しいか、正しくないか」に求める人ほど、結果的に、他人を攻撃し、傷付けようとします。
「正しくないものを認めてしまうことは正しくない」からです。
それ以上に、自分が正しいと信じるもの以外の正しさがこの世に存在すること自体、不快だからです。所詮、それは単なる個人の感情に過ぎません。
一方、独身者にも言い分はあるでしょう。「私たちだって、ちゃんと働いて、納税して、消費をして経済を回している。既婚者や子あり世帯にはある諸々の控除も何もなく、事実上の独身税を課せられているようなものだ」と。
こんな言い合いは、「正しさと正しさの戦い」というよりも、互いの「感情と感情の戦い」であって、そこに答えなどありません。