主君を幾度も変え一兵卒から大出世を遂げた戦国武将・藤堂高虎に学ぶ能力開発【後編】 (3/3ページ)

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その関係で、藤原氏のトップであり最高ランクの公家であった近衛家に接近します。

近衛家の側も、心中では「何だこの成り上がり者は」などと思っていたかもしれませんが、武力も経済力も持っていた高虎と誼を通じることは好都合だったのでしょう。両者の間には長く友好的な関係が結ばれていました。

さらに高虎は(見た目は傷だらけのマッチョですが)文学や能、茶の湯にも通じており、他の公家や文化人たちとの交流もありました。

以上を踏まえると、公家たちとのコネを見込まれて幕府側の責任者に任命され、当初は友好的な関係に基づいて交渉を進めていたが、ここぞという時に強硬な手段で押し切って交渉を取りまとめた、というストーリーが思い浮かびます。

いずれにせよ、平清盛以来、実に400年ぶりに「武家の娘が天皇に嫁ぐ」という快挙(あくまで江戸幕府にとって)が実現したのは、高虎の交渉力あってのことでした。

藤堂高虎の能力開発・まとめ

ここまでご紹介した、藤堂高虎の能力開発の推移をまとめてみます。

高虎は生まれつき個人的な戦闘力に恵まれていましたが、それに頼ることなく積極的に能力開発を続けました。

その際は、陸軍指揮や領内統治といった武将なら誰もが備えている能力をしっかり備えつつ、水軍指揮や築城、朝廷との交渉力といった他の武将があまり持っていない能力にも目を向け、ゼロから身に付けています。

既にある分野で能力と実績のある人が、未知の分野に踏み込むのは億劫なものです。

「俺は戦場で活躍する男だから、他は要らないんだ」

と目をつぶるのは簡単ですし、当時はそんな人がたくさんいました。

しかし高虎は違いました。敵将であった三成に自軍の改善点を尋ねたことからも分かるように、自身の成長に常に積極的だったのです。

藤堂高虎といえば「主君を幾度も変えた」ことばかりが有名ですが、こうした能力開発に対する姿勢はもっと注目されるべきであり、現代を生きるわれわれが見習うべきポイントではないでしょうか。

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