卑弥呼のモデルとされる「倭迹迹日百襲姫」とはいったい誰?正体を日本書紀の記述から推測【後編】 (4/5ページ)
その後、出雲の神にまつわる神託を得たため、崇神天皇は、再び出雲臣に出雲の神を祀らせた。
かつて崇神天皇があれほど祟りを怖れた出雲の神(大物主神)をヤマト政権が完全に牛耳っているのです。もはや、ヤマト政権と出雲の神は一心同体といってもいいほどの関係になっていることにお気づきでしょうか。
大物主神の正体を知って死んだ倭迹迹日百襲姫
最後に倭迹迹日百襲姫が箸墓に葬られた経緯を述べた『日本書紀』の有名な箸墓伝説の意味を考えてみましょう。
倭迹迹日百襲姫は三輪山の大物主神の妻となった。神は日没後に姫のもとに通い、夜明け前に帰ってしまう。そのため、姫は神の姿をはっきり見ることができなかった。
姫は「あなたの麗しいお姿を見たいので、朝まで留まってください」と嘆願した。神は「明日の朝、櫛笥(化粧箱)の中にいよう。ただし、私の姿を見ても決して驚かないように」と答えた。
その言葉を聞いた姫は、怪しみながらも朝になって櫛笥を開けた。するとそこには小さな蛇がいた。驚いた姫が思わず叫ぶと、蛇は人の姿に変わり「私に恥をかかせたな。