卑弥呼のモデルとされる「倭迹迹日百襲姫」とはいったい誰?正体を日本書紀の記述から推測【後編】 (5/5ページ)
今度はお前に恥をかかせてやろう」と言って、天空を踏んで三輪山に登って行った。
悔やんだ姫は箸を立て、女陰をついて死んでしまった。
箸墓伝説によると、倭迹迹日百襲姫は、自分の夫が三輪山の神(大物主神)であることを知り、驚き死んだ(自害した)ということになります。
つまり、崇神王朝が神として祀った三輪山の神、すなわち出雲系の神である大物主神を受け入れられずに死んだのです。
箸墓伝説が語ることとは?
大神神社の摂社狭井神社にある三輪山登拝口。(写真:T.TAKANO)
この伝説は、邪馬台国の鬼道、すなわち卑弥呼と同様の祭祀を行うシャーマンだった倭迹迹日百襲姫が、ヤマト政権が出雲系の新たな神を祀り始めたために、排除されてしまったと考えるのが妥当ではないでしょうか。
このように考えると、倭迹迹日百襲姫の正体は卑弥呼か、その宗教的な権威を引き継いだ2代女王の台与となるのです。
ただ、崇神天皇の在位は、3世紀後半から4世紀前半のため、3世紀中頃に没した卑弥呼では時代が合いません。そうすると、倭迹迹日百襲姫は台与の可能性が強くなります。
『日本書紀』の倭迹迹日百襲姫にまつわる伝説は、ヤマト政権の黎明期、宗教的権威を失うことによって起きた、邪馬台国の終焉を意味していると考えられるのではないでしょうか。
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