戦国時代のスナイパー!火縄銃の腕前で武士の身分にまで出世した悪小次郎の武勇伝 (3/7ページ)
改名の由来は不詳ですが、もしかしたらヤンチャな小次郎のこと、火薬をいじくっていて暴発させ、右目を失明してしまったので
「これは鎌倉権五郎景政(かまくらの ごんごろう かげまさ。右目を失いながら活躍した平安時代の名将)にあやかったんじゃ!」
……などと開き直った?のかも知れません(あくまで想像ですが)。転んでもタダでは起きない図ぶt……もとい前向きさこそ、ワルの身上というもの。ともあれ小次郎は鉄砲の名手として、毛利家中にその名を轟かせていくのでした。
数々の戦場で武功を重ねるさて、史料によれば小次郎の活動時期は大きく二つに分けられます。
前期:永禄12年(1569年)~同13年(1570年)
後期:天正10年(1582年)~同13年(1585年)
血気盛んだったであろう小次郎のことですから、初陣を永禄12年の15~20歳ごろと仮定すると、前期は10代後半から20代前半、後期は20代後半から30代前半と考えられます。
いくら「人生五十年」と言われた戦国時代であっても、30代前半での引退は少し早いように感じますが、もしかしたら前期に重傷を負ってしまい、しばらく第一線から退いていたか、あるいは戦果を上げられなかった(記録してもらえなかった)のかも知れません。
いずれにしても、鉄砲の腕前で武士にまで出世した小次郎の武勲を列記すると、以下の通りとなります。