電通マンが休職して-8℃の極寒100日修行を敢行 そこで得た結論とは (2/4ページ)
――そもそも、どうして高野山に入られたのですか?
元井:子どもの頃から「神秘体験」に憧れていたんです。今でも人文的な意味での「神秘主義」や「瞑想」は好きなのですが、こういう領域の一つの極点というのが「神秘体験」なんです。これをどうにかして自分もしてみたかったので、体験できそうな場所を探したところ、高野山に行き着いた。実際に行ってみたら、今お話ししたような生活で、神秘体験とはほど遠かったわけですが(笑)。
――途中で帰りたくならなかったのですか?
元井:「来るところを間違えた」とは思いましたよ。だけど、当時39歳で、会社では部長になる直前で、家も買ってしまって、子どもが2人いて、という環境で、みんなに拝み倒してわがままを聞いてもらったので、気軽に「やめました」と帰れる状態ではなかったんですよね。
でも、ここでこの生活を我慢していても神秘体験なんてできるわけがないということもわかっているわけです。だから、修行を終えて帰る時のことしか考えてなかったですよ。100日間の修行の間、毎秒そのことを考えていました。
――そんな修行を100日間やり遂げたとなると、世の中の見方や価値観が変わりそうです。
元井:それはありますね。ある目的があったとして「こういうことをすれば実現できるだろう」と考えるのが一般的だと思うのですが、修行を終えた後は「結局はなるようにしかならないんだ」という価値観・努力観がなんとなく身についていた気がします。
高野山の修行があまりにつらいので、「こんなところに100日もいていいんだろうか」とか「家もそんなに長く空けていてはダメなんじゃないか」とか「体を壊すんじゃないか」とか、色々と考えるわけです。なにかにつけて山を降りる理由を考える。人間はそういうふうにできているんです。
だけど、途中からそういうのも考えなくなっていくんですね。もちろん、毎日つらいのですが、つらいからどうだというのは考えなくなる。