戦国史の謎を解く新史料が発見!明智光秀の三日天下は「船合戦が原因」 (1/3ページ)
NHK大河ドラマ『麒麟がくる』が2月7日、いよいよ最終回を迎える。
主人公の明智光秀は天正一〇年(1582)六月二日に本能寺で織田信長を討ったわずか十一日後、山崎の合戦で羽柴秀吉に敗れ、小栗栖(京都市山科区)で武者狩りに遭って命を落とした。
俗にいう“三日天下”で、戦国史の謎の一つだったが、これを解き明かす古文書がこのほど、石山寺(大津市)から発見された。新史料は寺と関係の深い近江出身の武将である山岡景以が、先祖の由緒を記した『山岡景以舎系図』。
景以は瀬田城(同市)の城主だった山岡景隆の七男で、天正一六年(1588)に豊臣秀次の側近となり、彼が失脚して自害したことから後に秀吉に仕えた。その彼が当時、書き記した系図が江戸時代になって書写され、そこに本能寺の変が起きた直後、明智軍と山岡軍が琵琶湖で船合戦をしたことが書かれていたのだ――。
光秀は信長を討った直後、彼の天下布武の象徴でもあった壮麗な安土城(近江八幡市)を接収し、天下に号令しようとした。
信長の城に入らなければ、朝廷も世間も自身を“ポスト信長”とは認めてくれないからで、明智軍はその戦略に基づき、早々と京を発ち、まず、近江の瀬田に向かった。瀬田には琵琶湖から流れ出る瀬田川に唯一、「唐橋」が架かり、安土に向かうにはここを通るしかない。