室町幕府のひきこもり「足利義政」の偉業 〜得意と趣味を貫いたリアル具体例 (2/4ページ)
それでも、サラリと無視して得意なことや趣味に没頭したと言いますから、民衆としてはたまったものではありません。
実は、義政のダメダメぶりは、これだけではないのです。
自分の「推し」と「息子」の後継者問題が火種でも「ひこもる」義政は、妻「富子」との間になかなか子供ができなかったことから、出家して仏門に入っていた弟「義視」を9代目将軍と定めました。
しかし翌年、富子が息子「義尚」を出産。
弟の「義視」を将軍に推す義政と、息子の義尚を次期将軍にと望む富子は不仲となり、後継者問題などから「山名宗全」と「細川勝元」が対立。
11年も続き、戦国時代の幕開けとなった「応仁の乱」が起こるキッカケとなりました。
京都は火の海となり多くの死者も出ましたが、義政は知らぬ存ぜぬで、京都の東山にある別荘に逃げ込みひきこもってしまったのです。