室町幕府のひきこもり「足利義政」の偉業 〜得意と趣味を貫いたリアル具体例 (2/4ページ)

Japaaan

足利義政

足利義政:Wikipediaより

それでも、サラリと無視して得意なことや趣味に没頭したと言いますから、民衆としてはたまったものではありません。

実は、義政のダメダメぶりは、これだけではないのです。

自分の「推し」と「息子」の後継者問題が火種でも「ひこもる」

義政は、妻「富子」との間になかなか子供ができなかったことから、出家して仏門に入っていた弟「義視」を9代目将軍と定めました。

しかし翌年、富子が息子「義尚」を出産。

弟の「義視」を将軍に推す義政と、息子の義尚を次期将軍にと望む富子は不仲となり、後継者問題などから「山名宗全」と「細川勝元」が対立。

11年も続き、戦国時代の幕開けとなった「応仁の乱」が起こるキッカケとなりました。

京都は火の海となり多くの死者も出ましたが、義政は知らぬ存ぜぬで、京都の東山にある別荘に逃げ込みひきこもってしまったのです。

「室町幕府のひきこもり「足利義政」の偉業 〜得意と趣味を貫いたリアル具体例」のページです。デイリーニュースオンラインは、足利義政室町時代将軍カルチャーなどの最新ニュースを毎日配信しています。
ページの先頭へ戻る