フリーアナ市野瀬瞳「“30代でフリーになるのは遅すぎる”と言われました。みんな、フリーになるなら20代のうちになった方がいいって考えなんですよね」【独占告白7/10】 (1/2ページ)
フリーアナ市野瀬瞳 独占告白7/10
新潟総合テレビ、中京テレビでの局アナを経てフリーで活躍している市野瀬瞳。1月15日に発売されたEX大衆2月号でインタビューを行なったが、誌面では掲載できなかった部分を本サイトで公開。10回にわたって掲載する。
──中京テレビに入社する前は、どんなアナウンサー像を描いていたんですか?
新潟時代は本当にニュースとかお堅い情報番組メインでやってきたので、とにかく視野を広げていろんな番組、主にバラエティなんですけど、そこでしっかりアシスタントをやってみたいと思ってました。
──その思いは見事に叶いましたね。
叶いすぎてヘンな方向に行っちゃったんですけど(笑)。
──局アナ時代に市野瀬さんの個性が確立されたから、今のフリーの活動につながってるところもありますよね。
それはあると思います。中京テレビでいろいろな番組をやってなかったら、フリーになろうとは思わなかったです。特に『オドぜひ』をやってなかったらフリーの道はなかったでしょうね。新潟総合テレビと中京テレビで5年と8年、計13年間やってきたよかったです。中京ではだいぶ自由にやらせてもらいましたけど、あくまでアナウンサーだから自分が出過ぎるのはもってのほか。 局アナが個性を出し過ぎるとタレントさんが死んじゃうので、その辺はいろいろ学びました。
──フリーになる前、周りの人間からアドバイスはもらいましたか?
アドバイスというか、「30代でフリーになるのは遅すぎる」と言われました。やっぱりみんな、フリーになるなら20代のうちになった方がいいって考えなんですよね。
──アナウンサーの世界ではまだまだ「20代の独立が花」という雰囲気があるんですか?
あると思います。皆さんそうですし。