武田信玄が戦国最強軍団を築けた秘密?それは、家臣の意見を採用する合議制にあった【前編】 (1/3ページ)
織田信長が怖れ、徳川家康を一蹴した武田信玄(たけだしんげん)。一般に戦いの天才というイメージが強い信玄ですが、それだけで戦国最強軍団を構築できたわけではありません。
ワンマンが多かった戦国時代において、信玄は家臣たちの意見を取り入れる合議制を行った大名でした。この【前編】では、信玄が実践した合議制と、それにより構築された戦国最強の軍団についてお話ししましょう。
戦国大名としては珍しかった合議制を採用
合戦の天才的なイメージが強い信玄だが、家臣たちの意見によく耳を傾けた武将だった。(写真:wikipedia)
武田信玄は、多くの家臣たちを集めて合議(今でいう会議)を盛んに行ったことで知られています。これは、戦国時代では珍しいことでした。
当時は、合戦や内政などに関わる重要な決断を行うのは、戦国大名単独か、少数の側近のみの意見を聞き、決定していました。
その理由として、戦国大名の複雑な家臣団の構成にありました。家臣は、代々にわたりその大名に仕えていた者だけでなく、戦いの過程において服従した者たちも多く含まれていたのです。