腰の刀は飾りじゃない!長さ規制に反発した戦国武将・大久保彦左衛門のエピソード (2/5ページ)

Japaaan

しかし徳川家が天下をとると、槍働きしかできない武辺者は次第に疎んじられ、冷遇されてしまうのでした。

「彦左殿、そこは拙者の席ぞ!」

先祖代々奉公してきたにもかかわらず、処世術に長けるばかりの新参者に追いやられ、古参の武士たちは不満を募らせます。

「……なんじゃい、ロクに戦さ働きもせなんだ連中が、お追従とソロバン勘定で成り上がりおって……」

徳川家が天下をとれたのは誰のお陰か?外でもない、我ら譜代の者どもが命を懸けて戦さ奉公して参ったからではないか……そんな彦左衛門に、また声をかける者がありました。

刀の鞘サイズ規制に反発

「おい、彦左!」

「……そなたに彦左と呼びつけられるほど安うはないが、何用じゃ?」

歴戦の勇士に凄まれていささか怯んだものの、その者は上から目線で言い放ちます。

「知らぬのか?此度、差料(刀)の鞘は二尺三寸(約70cm。刃渡り)が定寸(じょうすん。規定の長さ)となったのじゃ……」

彦左衛門が平素から差している刀は三尺六寸(約109cm)、彼の身長が戦国時代の男性平均158cmだとしたら、刃渡りだけで胸近くまで届く長さになります。

「そうでなくとも、貴殿の刀は何かと邪魔じゃ。これを機会に、短いものと替えられよ」

石突(刀を納める鞘の先端)を引きずらないためには、柄頭(つかがしら。柄の先端)を持った手を突き出して歩く必要があり、その姿が周囲からは傲岸不遜に見えたのでしょう。

しかし、そんな言葉に黙って従う彦左衛門ではありません。

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