腰の刀は飾りじゃない!長さ規制に反発した戦国武将・大久保彦左衛門のエピソード (5/5ページ)
「……何がおかしい!気でも触れたかこの老骨め!」
「たわけ……切腹が怖くて奉公が出来るか!」
彦左衛門はその場で裃(かみしも)を脱ぎ捨て、傷だらけの上半身を露わにすると、一同は息を呑みました。
彦左衛門が訴えた、命の「意味」と「使いどころ」「……この老いぼれが傷だらけの腹を切って、間違ったご政道に意見が出来るなら安いもんじゃ……これまで数多の戦場をくぐり抜け、とうに捨てた命の使いどころとしては、悪くなかろう?」
もはや戦国乱世も遠く過ぎ去り、その本分を忘れかけていた武士たちに、彦左衛門のメッセージがどこまで響いたかは分かりません。
またある時は、大ダライに乗って登城した彦左衛門。誰が笑おうと、是と信じたなら断行あるのみ。月岡芳年「大久保彦左衛門盥登城之図」より。
しかし、彦左衛門の想いはその著書『三河物語(みかわものがたり)』によって後世へ伝えられ、現代を生きる私たちに、命の意味と使いどころを訴え続けているようです。
結局は許されて命を永らえた彦左衛門が世を去ったのは寛永16年(1639年)、将軍は三代目・徳川家光(いえみつ)の時代となっていました。享年80歳。
戦国乱世の遺風を湛えた彦左衛門の不器用な偏屈さは、今なお多くの人々に愛され続けています。
※参考文献:
岡谷繁実『名将言行録』岩波文庫、1997年12月
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