世界が称賛!ウルティモ・ドラゴン“独学プロレス人生”31年【全文公開】 (2/4ページ)

Asagei Biz

以下同)

 デビューわずか3カ月で新日本から修行に来ていた佐野直喜、畑浩和とメキシコ州トリオ王者になり、翌88年には史上最年少(21歳7カ月)、東洋人初のUWA世界ウェルター級王者に君臨。その評判は海を越えて日本にも伝わり、かつては不合格にした新日本からも誘いがかかった。

 そうした中、ウルティモが選んだのは新日本ではなく、ルチャ・リブレを日本に直輸入することをうたい文句にした新団体のユニバーサル・レスリング連盟。もし浅井がここで純粋なルチャ・リブレを披露していたら、単なるメキシコからの逆輸入日本人レスラーに終わっていただろうが、彼の鋭いところはルチャ・リブレでも、もちろん日本スタイルでもない、独自のプロレスを披露したことだ。

 セカンドロープからバック転で場外の相手にアタックするラ・ケブラーダをはじめとするルチャ・リブレ流の華麗な空中殺法だけでなく、大ブームだったUWFを感じさせる打撃、関節技、スープレックス。それらに新日本のストロング・スタイルの匂いがする喧嘩ファイトをブレンドしたスタイルは新鮮だった。ルチャ・リブレの華麗さを持ちつつ、日本的な要素を加味したファイトはジャパニーズ・ルチャと呼ばれ、90年代の日本人のジュニア・ヘビー級戦士のロールモデルになったのである。

 転機になったのは90年。メキシコではUWAから老舗団体EMLL(現CMLL)に移籍、日本ではユニバーサルからSWSに移籍して、素顔の浅井からマスクマンのウルティモ・ドラゴンに変身した。

〈それで僕が「マスクをかぶるなら、タイガーマスクをやりたいんですけど」って言ったら「タイガーマスクもいいけど、こっちの方がいいよ」と提案されたのがウルティモ・ドラゴンでした。「タイガー・タイプのマスクマンはメキシコにもいろいろいる。それにメキシコ人が抱くオリエンタルなイメージは、虎よりも龍の方が強い。だからタイガーマスクよりもドラゴンをイメージしたキャラクターにすべきだと思っている」というのが(EMLLのプロデューサーである)ペーニャさんの考えでした〉

 ウルティモ・ドラゴン誕生の瞬間である。

 日本では92年6月にSWSが崩壊すると、天龍源一郎が旗揚げしたWARに移籍。

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