世界が称賛!ウルティモ・ドラゴン“独学プロレス人生”31年【全文公開】 (1/4ページ)
日本デビュー31周年を迎えたレジェンド・レスラー、ウルティモ・ドラゴン。デビューの地、メキシコのみならず日本やアメリカの2大メジャー団体でも活躍。今も世界からのオファーが絶えない理由は何なのか。先ごろ出版された著書「独学のプロレス」(徳間書店刊)の構成も手がけた小佐野景浩氏が、そのワールドワイドな人気の秘密を分析する!
ウルティモ・ドラゴンのすごさは挙げればキリがないが、日本でプロレスラーになれないと悟るや、メキシコに渡って現地デビュー。確固たる地位を築いたことは、日本のプロレス界でも画期的な出来事だった。
ウルティモは公称で172センチ、83キロ。彼がプロレスラーを志した1980年代のプロレスラーの入門規定は180センチ、82キロ以上だったため、ジャイアント馬場率いる全日本プロレスでは入門テストも受けさせてもらえず、アントニオ猪木率いる新日本プロレスの門を叩く。入門テストはクリアしたものの、身長を理由に不合格になった。
何とか食い下がって、山本小鉄に通いの練習生になることを認めてもらったものの、正式入門ではないためにスパーリングだけ。受け身やロープワークなどのプロレス専門技術は教えてもらえなかったという。にもかかわらず87年5月13日、メキシコ到着2日目にしてイダルゴ州パチューカで素顔の浅井嘉浩としてデビューする。20歳の時だ。
メキシコのプロレスはルチャ・リブレと呼ばれる空中殺法を主体としたもので、スポーツというよりも大衆芸能。日本のプロレスとはまったく異なるが「日本とは違うなと思いましたけど、試合自体をやったことがなかったので、戸惑いはなかったです」と最初から順応できた。実戦を通して、それこそ「独学」でメキシコのプロレスを学んだのだ。
〈だから新日本プロレスの道場にいる時はプロレスのことは何もわからなかった。メキシコに行ったら、まわりにいろいろヒントがあったので、それを自分なりに解釈していくかにかかっている。その解釈ができた人間だけがバーッと上に行くことができるんですよ〉(著書「独学のプロレス」より。