世界が称賛!ウルティモ・ドラゴン“独学プロレス人生”31年【全文公開】 (3/4ページ)
ここで対戦したり、タッグを組むことで天龍から日本スタイルを、ザ・グレート・カブキからアメリカン・スタイルを吸収した。
さらにWARと新日本の対抗戦が実現した中で、92年11月22日の両国国技館でエル・サムライからIWGPジュニア王座奪取。
かつて入門できなかった団体のジュニア最高峰のベルトを腰に巻いたウルティモの「僕は6年前、新日本プロレスの練習生になりましたが、体が小さすぎると入門できませんでした。でも、夢を捨てずに頑張れば、こうしてベルトも巻けるんです」というマイクアピールは感動的だった。
〈新日本のリングに初めて上がって、ジュニアの最高峰のIWGPジュニアのベルトに、いきなり挑戦できるのは「ああ、遂に俺もこのリングに上がれるんだね」って感慨深いものがありましたね。(中略)試合後のマイクは‥‥その時に思ったことをストレートにしゃべったということで、完全にアドリブでした。闘龍門では、みんなマイクアピールしてますけど、その原点があの時の僕のマイクかなって思うことがあるんですよね〉
獣神サンダー・ライガーやザ・グレート・サスケとシノギを削り、95年8月にジュニア・ヘビー級の8冠王者になると、いよいよ米2大メジャーのひとつWCWに進出。世界クルーザー級、日本人ではグレート・ムタしか巻いたことがない世界テレビ王座を2度奪取して世界のトップスターに仲間入りした。
〈当時のアメリカは、もうスニーキーなスタイル(塩で目潰しをしたり、レフェリーの目を盗んで首を絞めるような卑怯なスタイル)の日本人レスラーの時代ではなく、向こうのファンも目が肥えていたし、日本のプロレスにはジュニア・ヘビー級があるというのを理解していたから、僕やディーン、エディ・ゲレロ、クリス・ベノワ、クリス・ジェリコ、ミステリオなんかの日本のジュニアのスタイルがウケたんですね。そういう流れでしたよ〉
メキシコ、日本、アメリカの異なるプロレス文化を体感したウルティモは「ルチャはアニメで、アメリカン・プロレスはムービー、日本のプロレスは格闘技、そしてプロレスとはスポーツ・エンターテインメントです」と明快に語る。