世界が称賛!ウルティモ・ドラゴン“独学プロレス人生”31年【全文公開】 (4/4ページ)

Asagei Biz

 98年7月に左肘の手術のミスで長期欠場を余儀なくされ、WCWを離れざるを得なくなったが、それも結果的にはプラスに作用する。WCWに入った直後の97年4月にメキシコでプロレスラー養成学校・闘龍門を開校して、メキシコとアメリカを往復する多忙な毎日を送っていたが、欠場を余儀なくされて指導者・プロデューサーに専念することができたのである。闘龍門は99年1月31日に日本に逆上陸を果たして大きな評判を呼び、闘龍門JAPANという団体に発展。メキシコの学校の卒業生が所属するという体制ができあがった。

 選手としては02年9月に復帰すると、03年5月にWWE(当時はWWF)と契約。ウルティモはWCWとWWEの米2大メジャーで活躍した唯一の日本人だ。

 04年4月に帰国後は、闘龍門JAPANからさらに発展したドラゴンゲートとは袂を分かってメキシコの学校で選手育成へ。その一方、選手としてはフリーランスになり、日本の各団体、メキシコ、アメリカ、カナダ、ヨーロッパ各国、南米のペルーなどからオファーを受けて世界各国を転戦。19年9月にラブコールを受けて新体制のドラゴンゲートに合流したが、新型コロナウイルスが世界的に流行する前の昨年1月にはオーストラリアにも遠征した。

「コスチュームが入ったスーツケースがひとつあれば世界中どこでも仕事をすることができる」というのがウルティモ・ドラゴンの矜持である。

 そして、その旅は54歳になった今も続いている。


※「週刊アサヒ芸能」3月18日号より

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