橋本奈々未の個人PV「三浦半島」「自撮り」がアイドルのPVとして“異端”に見える訳【乃木坂46「個人PVという実験場」第17回4/5】 (3/3ページ)
■「アイドルシーン」にとっての異端
続く4枚目シングルの個人PVでは、テーマが「苦手克服」となったことで、各作品はさらにTVバラエティ的な仕上がりで統一されていく。しかし、ここでも橋本の個人PVは再度、個人PVを制作する打ち合わせ風景からスタートする。
https://www.youtube.com/watch?v=LiyWbZxLkmk
(※橋本奈々未個人PV「自撮り」予告編)
体裁上はテーマに沿って、橋本が苦手だという「自撮り」の克服が掲げられ、そのために「橋本自身が監督となって個人PVを撮る」ことがスタッフから提案される。
しかし、この冒頭のシーンがすでに、フェイクドキュメンタリー的なタッチの虚構である。そして次のシーンからは、橋本が自撮りとはまた別の「苦手」を克服する、ややオフビートかつファンタジックな空気感のドラマが展開していく。
やがて、橋本自身が監督・脚本にクレジットされたこの作品は、ひとつの達成をもって幕を閉じるが、テーマであるはずの「苦手克服」はこの作品にとってはストーリーのきっかけを作るためのものでしかない。前作に続いて橋本の個人PVはやはり、あてがわれたテーマをメタ的に捉え直し、フェーズの違う景色を見せる作品だった。
ここでみた二つの統一テーマは、本来ならばメンバーの「素」にフォーカスするため、言ってみれば虚実の「実」とされるであろう部分を捉えるための枠組みである。しかし、橋本が主演した作品はいずれも、そのテーマの前提を疑うような形で、むしろ明確なフィクションに昇華している。
アイドルシーンにおいて橋本奈々未という存在は、しばしば「異端」的な存在感をもつ人物として語られてきた。もっとも、それは多くの場合、一個人として地に足のついた視点を示していた彼女の在り方によって、アイドルというジャンルの、ときにいびつな特異性が照射されていたにすぎない(https://taishu.jp/articles/-/73163参照)。
キャリアの初期にしてその橋本のもとに、所与の前提を素朴に問い直す作品が立て続けに呼び寄せられていたこともまた興味深い。