志村けん「最後の晩餐はおふくろが作ったすいとんがいい」と語った母親との関係性 (1/3ページ)
みんな大好き志村けん氏。今回、本誌では「女性」という観点から氏を検証。といっても、下衆雑誌と一線を画す我々、スキャンダルな下半身ネタには目もくれず、「ネタにおける女性の役割」にのみ着目。そこから見えてきたものとは?
志村がこたつで寝てしまうと、和子は毛布を掛けるのだという。和子にとっては何歳になっても子供なのだ。
志村の自分語りにおいて、元軍人で、教頭まで務めていた厳格な父・憲司の話はよく出てくるが、母・和子の話は意外と少ない。しかし、志村は「笑いのセンスは母親の血を引いているかもしれない」と語っており、和子は志村にとって大きな存在なのだ。
志村家はいわゆる「男尊女卑」の家庭だった。志村は「昔、うちは祖父母と父の兄弟が同居する10人家族。おふくろは寝る暇もなく働いた。砂糖や調味料は婆さんが管理していて、『子供のおやつを作るので砂糖をください』って頼むと、『砂糖の減りが早い』と親父にチクるの。すると親父はおふくろを畑に連れ出して殴るのよ。かわいそうでね…」(『夕刊フジ』)と話している。
憲司の影響から家庭は冗談も言えないような暗い雰囲気で、和子も笑うことは少なかったが、実家は明るく笑顔が溢れるような環境だったという。
和子は東村山の正福寺で年に1度行なわれる浦安の舞(雅楽)の初代踊り子に選ばれるほど明るくユーモアのある女性だった。志村家に嫁いでからもユーモアの片鱗を見せることがあったという。
和子と兄弟4人がこたつに入っていると、ふいにオナラの音がした。“犯人”の和子は次男に「あなた、オナラしたでしょ」と罪をなすりつけ、自分の否は認めなかったのだとか。また、みんなでお団子を食べた際、和子は自分の食べた串を他人の皿に乗せて「私は食べてないわ」とすましていたという。
厳格な憲司とは対照的に、若い時に踊りをやっていた和子は芸事に寛容だった。