恐妻家と嫉妬妻? 徳川2代将軍・徳川秀忠と継室・江(崇源院)の関係性【前編】 (2/2ページ)
子女
秀忠と江の間には7人(二男五女)の子供がいた。中でも1604年に誕生した徳川家光は、後に徳川3代将軍となり征夷大将軍となる。
秀忠と江の子、徳川家光(とくがわいえみつ)(Wikipediaより)
徳川幕府の長い歴史において徳川将軍の正室であり、次代将軍の生母となったのは江だけだった。子女の多さからも推察できるように、夫婦の関係性は良好であったとされる。
秀忠は表向き正式な側室を持たず、江と添い遂げた。
【後編】では、恐妻家や嫉妬妻との逸話が残る理由について考察する。
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