ハイデガー、ニーチェ、マルクス……難解な名著を読む意味はあるか? (1/2ページ)
あなたは普段、読書をするだろうか?
その読書はどんな目的があるだろうか?
楽しみのため。仕事や勉強で必要な知識を得るため。ベッドの中で眠気がやってくるのを待つため。どんな目的があっても、それは「正解」だ。でも、楽しみ方はそれだけではない。読書には「自分の知性を試す」という楽しみもあるのだ。
■ハイデガー、ニーチェ、マルクス……難解な名著を読む意味はあるか?かつて「教養としてこのくらいは読んでおくべき」とされていた本の数々があった(今でも「大学生のうちに読んでおいた方がいい本リスト」「新社会人の必読書」のような形でメディアに顔を出すことがある)。『存在と時間』(ハイデガー)、『監獄の誕生』(フーコー)、『論理哲学思考』(ウィトゲンシュタイン)、『ツァラトゥストラ』(ニーチェ)、『資本論』(マルクス)といった、「難解な本」の数々である。
とかく難しく、何を言っているのかわからず、エンターテインメント的な楽しさとは対極であり、そして人生や人間の本質に触れることが書かれている一方で、おそらく実生活の役には立たない。読まなくても困ることはない本の数々。
ともすると一生縁がないままになりかねないこれらの本を、「今だからこそ挑戦すべき」としているのが『難しい本をどう読むか』(草思社刊)の著者で明治大学教授の齋藤孝氏だ。
難しい本に挑戦して、何とか書かれていることを読み取ろうとする試みによって、脳は鍛えられる。しかし、それ以上に齋藤氏が大切にしているのは、チャレンジすることによって得られる「自信」だ。
知的な優位性はそう簡単には失われません。知力を他人に誇示する必要などなく、努力して高みに登った達成感を得ることこそに意味があります。「ほとんどの人が読んでいない本を、自分は読むことができた」難しい本を読むことで、自分に誇りが持てますし、自己肯定感も高まるわけです。