大河ドラマ「青天を衝け」に出てくる「中の家」「東の家」ってどういう意味?江戸時代の屋号を紹介 (2/3ページ)

Japaaan

例:「もしもし、太兵衛さんにお届けものがございます」
「太兵衛ったってウチの村には8人いるんだが、どの太兵衛だね」

この辺り一帯、みんな同じ一族。

もっとも、現代でも地方によっては「この集落一帯、みんな『鈴木』さん」なんてことも珍しくなく、どのみち苗字よりも具体的に「どの家」の者かを示す必要がありました。

そこで生まれたのが「屋号」。家のある場所(例:川向こう)や近くの特徴物(例:柿の木)、分家を興した初代の名前(例:久兵衛)など、さまざまな工夫をもって呼び交わされたようです。

そもそも、苗字にしても氏(うじ。本姓)が源平藤橘(げんぺいとうきつ。源氏・平氏・藤原氏・橘氏)でほぼ占められてしまったため、各家や個人を識別するために生まれたものですから、苗字から屋号が生まれたことは、一族の更なる発展を意味しています。

現代でも折々の場面で屋号が使われることがあるので、気にしてみると楽しいですよ。

屋号から感じ取れる人々の思い

閑話休題。大河ドラマに話を戻すと、察するところ栄一たちのいる「中の家」が元からある本家で、その東側に宗助夫婦が分家を建てたから「東の家」、そして喜作夫婦が新たに「新屋敷」を建てた……と言った具合でしょう。

屋敷と呼ぶくらいですから、さぞや立派な家が建ったことでしょう。現代と違って住宅ローンなんてありませんから、立派な屋敷を建てられるだけの蓄えをなすべく、喜作夫婦が一生懸命に働いた賜物と言えそうです。

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