江戸時代の幕府公認「遊郭」と非公認「岡場所」の費用や遊び方の違い (2/7ページ)
吉原が日本橋にあった頃は、客の中心は武士でした。しかし、浅草の千束(現在の台東区)に移転してからは、商人や職人といった町人が客層となっています。
町人のなかには知識や教養のある人が多かったため、「吉原」は江戸の最先端をゆくスポットとなっていったのです。
ただし、花魁のような上級ランクの遊女の元に通えたのは、町人のなかでも豪商や豪農、藩主の邸宅で留守を務める「藩邸の留守役」などのお金持ちのみでした。
どんな遊女がいたのか
武士の客が中心だった頃に最高ランクだったのが、芸事や教養などを兼ね備えた「太夫」で、江戸中期以降は、散茶女郎が最高ランクとなり「花魁」と呼ばれています。
散茶女郎とは、「湯を足すだけで飲める散茶は、袋を振る必要がない」ため、これをかけて「客を振らない」「客を断らない」という意味です。
客層が変わって芸事などが重要視されなくなった花魁の時代、花魁たちは、男性を魅了するための色気やテクニックを日々磨いていたようです。
