俺たちは用済みか!明治維新後、リストラされた奇兵隊や長州志士たちの叛乱「脱隊騒動」 (4/5ページ)

Japaaan

明治維新の元勲・木戸孝允。この叛乱を抑えられるのは彼しかいなかった。

「数でこそ劣るがこちらは少数精鋭、むしろ農民どもを掻き集めた脱隊軍は統制がとれず、たやすく翻弄できるだろう」

明治3年(1870年)2月9日から11日にかけて山口藩軍と脱隊軍が激突、小郡(おごおり。現:山口県山口市)や三田尻(みたじり。現:山口県防府市)など各地で一進一退の攻防戦を繰り広げた結果、山口藩軍が勝利を収めます。

「もはやこれまでか……!」

敗戦の中で藤山佐熊は討死、富永有隣は再起を期して逃亡し、長島義輔は残党をとりまとめて降伏。3月18日に斬首され、5月6日までに首謀者35名が処刑されました。

この脱隊騒動における一連の死傷者は脱隊軍が133名(死者60、負傷73)、討伐軍84名(死者20、負傷64)、脱隊軍のうち平民出身者約1,300名については帰郷が許されたと言います。

一将功成りて、万骨枯る(イメージ)。

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