15代将軍・徳川慶喜、敵前逃亡の後日談。大坂脱出に関わった人々のその後とは?【その1】 (5/7ページ)
上陸した浅野は、江戸の情勢を伝えるべく大坂城を目指したが、その道すがら旧幕府軍の鳥羽・伏見での敗戦を聞くことになる。
驚いた浅野は、大坂城に入ると、先ほどまで御前会議に出席していたという板倉勝静と話ができた。
板倉:美作殿(浅野)、事態は最悪の状況に陥っている。こうなっては、最早どんな議論も策も無駄である。
この責任は、筆頭老中の自分にあり、どんな責めも甘んじて受けるつもりだが、貴殿には合わせる顔がない。
と、意気消沈も甚だしい。
しかし、気を取り直して、慶喜公がお待ちなので早く目通りするように促してきた。それで、浅野は慶喜に拝謁する。
慶喜:時勢は日々切迫して過激論者の暴発をとても防げそうにない。
鳥羽伏見の戦いは、先走った一部の過激論者が行ったことだ。その上、錦旗にまで発砲し、ついには朝敵の汚名までを着せられてしまった。
これ以上、自分が大坂城に留まれば、ますます過激論者たちを刺激して、どんな大事を引き起こすか分かったものではない。
この上は、自分は速やかに江戸に戻り、恭順謹慎を貫き、朝命をお待ちしようと思う。
ただし、浅野よ。このことは、秘密であるぞ。そなただけの胸にしまい、決して他に漏らしてはならぬぞ。(『徳川慶喜公伝資料編』)