15代将軍・徳川慶喜、敵前逃亡の後日談。大坂脱出に関わった人々のその後とは?【その1】 (6/7ページ)
大阪湾に出て、開陽丸を探した(写真:Wikipedia)
浅野が慶喜の御前を退出すると、板倉が慶喜の御直筆を見せてきた。
そこには、慶喜が大坂城脱出に際して、連れていく者とそうでない者が書かれていた。
●江戸に連れていく者……板倉勝静・酒井忠惇・平山敬忠・永井尚志
●大坂城に残す者……
・松平正質(まつだいらまさただ)[老中格/総督・大多喜藩主・豊前守・大河内正質とも]
・竹中重固(たけなかしげかた)[若年寄並陸軍奉行・旗本・丹後守]
・塚原昌義(つかはらまさよし)[若年寄/副総督・旗本・但馬守]
この人事は、明らかに対薩長強硬論者であった松平・竹中・塚原の3人を除外し、自分の意が及ぶ者のみを選んだものだった。
さらに、慶喜は松平容保・定敬兄弟を強制的に大坂城から連れ出す。
これも、二人を大坂城に残せば、鳥羽・伏見の前線から戻ってきた会津・桑名藩兵が維新政府軍と徹底抗戦を叫ぶことを怖れた故の処置だった。
『前代未聞の敵前逃亡!15代将軍・徳川慶喜が大坂城から逃げた真相に迫る/その2』で述べた通り、この時点での慶喜の心境は、すでに恭順謹慎に決していたのだろう。